しくじり先生:なんでんかんでん社長 川原ひろし
なんでんかんでん 川原ひろしのプロフィール
1987年 豚骨ラーメン店「なんでんかんでん」開業
当時まだ認知されていなかった豚骨ラーメンを流行らせた第一人者
お店は大繁盛で連日3時間待ちの大行列!
その後、全国に店舗を増やし「株式会社なんでんかんでんフーズ」を設立
客単価が低いとされるラーメン業界で最高年商は約5億円
日本中をラーメンブームへ巻き込んだ実績から、2009年には「東久邇宮文化褒賞」を受賞
起業を目指す志願者が投資金を求めプレゼンする番組「マネーの虎」に出演
カリスマ社長として人気を博した
しかし、マネーの虎出演から15年、なんでんかんでんは全店舗閉店
ノー店舗でフィニッシュw
さらに川原ひろしは現在2000万円ほどの借金を抱えている
カリスマ社長と呼ばれていたのに全店舗を潰したしくじり社長
豚骨ラーメンの火付け役だったにもかかわらず全店舗を潰し大転落していた川原ひろし
第一章
しくじり社長 川原ひろし
~超人気ラーメン店はこうして伸びて縮んでいった~
川原ひろしは元々ラーメン店をするために東京に来たわけではない
19歳の頃に歌手を目指して福岡から上京した
上京後、東京には”なんちゃって豚骨ラメーン”しかない!とストレスを感じていた
博多の人は臭いのが好き
それが食べたくて食べたくて、ラーメン屋をやってやるぞ!と決心
約3ヶ月間、自宅にこもってラーメンの研究に明け暮れた
ラーメン屋になると決めて数ヶ月後には、感情7号線沿いに「なんでんかんでん」をオープン
「なんでんかんでん」の意味は「なんでもかんでも」
博多の女の子に店の名前を相談したときに「そげな名前なんてなんでんかんでんでよかろうもん!」と言われ、おもしろなと思いつけた
開業資金の800万円は父親に借りた
父親の会社の子会社としてラーメン店を出した
オープンから2年半はずっと大赤字
2500万円の赤字を出してしまった
打開策として、東京中の出版社に「ラーメン無料券」が付いたFAXを送りまくった
雑誌を大量に買い込む
↓
出版社のFAX番号を調べる
↓
ラーメン無料券を作る
↓
「取材してください!」とFAXを送る
その結果、出版社から取材殺到
スタッフに無料券をもってきたお客さんがいたら俺を呼べと言い、呼ばれたら名刺交換をして対応していた
この時ラーメンを食べた出版社の方含め、お客さんからのコメント
- 補足きめの細かい麺が濃厚で深い味わいのスープに絡む
- 今まで食べてきたラーメンとは次元の違う旨さ
- 豚骨ラーメン店では都内に右に出るお店はない
- 本場の博多よりうまい
店が繁盛するには話題性が大事だということに気づいた
そしてもっと話題を作らなければと思うようになった
話題作りのためにプリント海苔を発明
プリント海苔の白い文字は卵の殻をパウダーにして、小麦粉・片栗粉でインクを作る
それを焼いて貼り付けて完成
プリント海苔の実績一覧
- 旭山動物園
- 富士急ハイランド
- ㈱浅くさ中村屋
- 江戸ワンダーランド日光江戸村
企業の広告をプリントして、なんでんかんでんのラーメンに入れて6000枚で約10万円の広告料をもらっていた
麺の硬さの指標として使われ、「ハリガネ」よりも更に硬めの「粉落とし」を考えたのも川原ひろし
話題作りをしまくった結果、なんでんかんでんは3時間待ちの大大大行列!
営業時間は夕方の6時から夜中の3時半まで
一晩最高1200人のお客さんが来た
1日3万円だった売上が120万にまで増えた
そして株式会社なんでんかんでんフーズを設立
2号店も出店、年商約4億円に
しかし人気の裏で問題も
- 豚骨スープによる異臭問題
- 行列による騒音問題
- 路上駐車による環七渋滞問題
豚骨スープの匂いが洗濯物に移るという苦情
4,5台しか駐車場がなかったため起こる渋滞
(道路の反対車線にまで車が沢山停まっていた)
近隣の住民から沢山のクレームが入ったが、そんなクレームに対してうぜぇとしか思っていなかった
スープの臭いが常識を超えていたのは川原ひろし自身も分かっていたが大した事ないと思っていた
行列を作る人達についても路上駐車についても、川原ひろしが実際停めているわけじゃない
さらに、川原ひろしは店の設備からは1日に出せるラーメンは300杯が限界なのに人気があるからとスープを薄めていた
300杯が限界なのに1200杯出していたので単純計算でいくと4倍も薄めていたことになる
薄めたラーメンを食べた人の感想
- スープがとにかく薄い 薬味のネギにすら負けている
- 臭いはクサいのに味が薄い
- 先輩に「とにかく美味いから騙されたと思って3回行け」と言われて3回食って先輩と絶縁した
こうしてお客さんは激減
さらにクレームを無視し続けた結果、近隣住民が大激怒しデモ隊が襲来
警察・デモ隊が毎日常駐するように
路上駐車が出来なくなり、お客さんは大激減
ほとんどのお客さんが車で来ていたので、車を停められないとなると命取りだった
さらになんでんかんでん店舗前だけ環七を渡らないように中央分離帯にフェンスを作られた
売上は10分の1にまで激減
この経験から学んだ教訓
小さな綻びを無視しない
小さいことをほったらかすと増殖していく
ご近所付合いは大事
苦情がきたらしっかりと耳を傾けて対処すべき
第二章
カリスマの虎
大復活から再び地獄へ
お客さんが減って行列がなくなると騒音問題も自然と解消
そしてタイミング良く店舗の隣に20台の駐車場を確保できた
路駐も減り、迷惑をかけていたデモ隊や警察も来なくなった
そしてスープの濃さを元に戻した
その結果、売上も絶頂期の半分だが50万円まで回復
そんなとき、テレビ番組「マネーの虎」から出演オファーが
川原ひろしは、おれが出演すればお店の宣伝になると快諾
そして自ら広告塔となり「なんでんかんでん」の名前を世に広めた結果、人気大復活!年商約5億円に!
店舗の数もさらに増えた
街を歩けば「カリスマ社長」と声をかけられる
そして調子に乗って色んな事をやってしまった
・江ノ島に海の家を出店
⇒500万円の赤字
・なんでんかんでんオリジナルTシャツを大量に製造
⇒今でも大量の在庫を抱えている
他にも新商品開発への投資等をしたり、オリジナルCDを出したりと様々なことに手を出すが全て見通しが甘く大失敗
様々なことに手を出した結果、2000万円の赤字でフィニッシュ
自分が失敗を繰り返している中、マネーの虎では他人にダメ出ししていたw
サイドビジネスに手を出しまくっている中、本業のなんでんかんでんでも問題がでてくる
従業員に1700万円抜かれていたことが発覚
中国に出店した店が勝手に焼肉店になっていた
これらの経験から学んだ教訓
得意分野以外に安易に手を出すとしくじる
お金があるからといって、なんでもかんでも手広く副業に手を出すのではなく、自分の本業や得意分野に力を注ぎ真摯に打ち込むことでコツコツと成長できる
社長になり売上が伸びてきたからといって店をほったらかしにして店にいなかったりすると必ずしくじる
店には必ず1時間でもいいので定期的に顔を出すべき
社員とのコミュニケーションも図れ、雰囲気やお店の細かな変化を感じられる
問題は抱えていたが、なんでんかんでんはマネーの虎の影響もあって絶好調
するとこんな問題が起こった
- 豚骨スープによる異臭問題
- 行列による騒音問題
- 路上駐車による環七渋滞問題
また同じ問題が起こってしまった
そして、またスープを薄めてしまったwww
ただ、薄め方を変えた
閉店後に濃いスープを作っておいて、それを足しながらやっていけば多少は対応できるようになった
だから前ほどは薄くなかったw
しかしその結果、またお客さんが減っていった
教訓
本気で反省していないから同じ失敗を繰り返す
講演会の仕事等で外にいることが多くなり、また店をおろそかにしていた
2度あることは3度あると言いますが、とりあえず2度しかやっていないw
3度目は店がなくなったww
お店の悪評が支店にも影響
売上が落ち込み、支店は続々と閉店
支店は全て潰れ、なんでんかんでんは本店だけに
成功体験を忘れられずお店を移転しなかった
家賃はオープン時は10万円だったが40万円に膨れ上がっていた
その場所に執着してしまっていた
この場所で自分が成功し、豚骨ラーメンが全国に発信され、なんでんかんでんをきっかけにラーメン屋を志す人も増えた
だから赤字のままずっと経営を続けていた
その結果、全店舗閉店する結果に
なんでんかんでんは26年の歴史を閉じた
全店舗閉店から学んだ教訓
成功にすがるとその先の人生が薄くなる
成長を求めるとその先の人生が濃くなる
なんでんかんでんを閉店して、もうラーメン業界で自分の役割は終わったと思っていた
ラーメンへの情熱も昔ほどなかった
そんな時に沢山の方から
「なんでんかんでんを復活してくれ」とメールが送られてくる
そして今、川原ひろしはこのままで終わるわけにはいかないと思っている
2017年は復活の年にしようと思っている
その時はまた自ら店に立って、沢山のお客さんと触れ合って頑張っていきたいと考えている
まとめ
なんでんかんでん川原ひろしのしくじり
①とんこつスープを薄めた
②面倒な問題から目を背けた
③全店舗を潰した
教訓
過去の栄光にすがる事なく新たな成長を求め努力しよう!
コメント
なんでんかんでん300人分のスープを900人分まで薄めて使用していた事はテレビで言ってましたが、さすがに フランチャイズ店に売った『帽子やTシャツ』を開店の日に 密かに運び出した 云わば『窃盗』をしていた事は 言いませんでしたわ❗(笑)