荻原次晴のしくじり授業まとめ「双子の兄と比較にならないぐらい差がついちゃった」

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しくじり先生 荻原次晴

優秀な人と比べられた時に逃げ出さないための授業
しくじり先生:荻原次晴

1969年群馬県草津町生まれ

荻原次晴の兄・荻原健司のプロフィール

1992年、アルベールビル五輪ノルディック複合団体に22歳で出場
V字ジャンプで世界が驚かせ20年ぶりの金メダルを獲得

さらにリレハンメル五輪も金メダルで2連覇
そのあまりの強さについた異名はキング・オブ・スキー

引退後は参議院として政界に進出
現在は若手育成に尽力


日本の双子の出生数は年間約1万組

双子の有名人

三倉佳奈・茉奈
ザ・たっち
蛯原友里
ローラ
大竹まこと
キーファー・サザーランド

双子には一卵性と二卵性がある
荻原健司・次晴兄弟は一卵性の双子


兄・荻原健司が国民スターになった陰で荻原次晴はこんな地獄を体験していた

兄・健司と1万回間違えられ地獄

当時荻原健司に双子の兄弟がいるとは誰も知らなかった

毎日のように自分の存在を否定された

間違われる生活が続き自暴自棄になった次晴は母親に
「なんで俺を双子に産んだんだよ!」と

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兄は大成功!弟はしくじり地獄!双子人生ゲーム
優秀な人と比べられたときに進んでしまう3つの間違った道

荻原兄弟がやっていた競技はノルディック複合という種目
スキージャンプとクロスカントリー両種目の成績で順位を競う

ノルディック複合を始めた頃は兄・健司よりも次晴のほうが圧倒的に優秀だった

遊びでも鉄棒の逆上がりでも全部次晴が勝っていた

兄 健司
コツコツと真面目に努力する性格

弟 次晴
器用だけどすぐに飽きて続かない性格

中学1年生の頃にあったスキーの全国大会には器用な次晴だけが出場できた

真面目な性格の健司は悔しくてさらにコツコツ努力するようになった
そして中学3年になると2人揃って全国大会に出場することができた
そして1位が健司、2位が次晴という結果に

当時の次晴は「俺はまだ本気出してないだけ・・」という心境だった

優秀な人と比べられた時にしくじる人のNG行動①
「まだ本気だしてない」と現実から逃げる

中学卒業後、荻原兄弟はそろって同じ高校に進学
高校2年の時、兄弟そろって初の国際大会に出場

その結果兄弟揃って人生初の大惨敗!
出場選手40人中、健司36位、次晴39位

この時2人の考え方の違いが大きな分岐点に

世界の選手と比較した時、次晴と健司はそれぞれこう思った

兄 健司
「世界で勝てる選手になりたい」と本気になった

弟 次晴
「世界はレベルが高すぎるから無理だ!」と逃げた

次晴は兄のことを「どうせ無理なのにバカじゃねぇの」と思った

優秀な人と比べられた時にしくじる人のNG行動②
努力している人を否定して自分を正当化する

高校を卒業する頃には荻原次晴はスキーへの情熱は完全に冷め切っていたが、それまでの実績が考慮され健司と同じ早稲田大学のスキー部に入った
やる気はないので練習では遅刻を連発
90分走の時は公園で寝ていた

スキーを完全に諦めた次晴にも本気でやりたいこと思うことができた
それは、ラッパーw

MC TSUN名義で活動していた
荻原次晴 ラッパー時代

スキーばかりやっている健司をつまらない男だと思っていた
人生の中で一番遊べるのは大学時代しかないと思っていた

大学4年の時、2人の進路がとんでもなく大きく変わる

兄 健司
アルベールビル五輪出場決定!

弟 次晴
単位が大幅に足りず大学留年決定!

アルベールビル五輪で兄荻原は金メダルを獲得し日本中に健司フィーバー到来!

世間は健司が双子だとは知らないので、次晴が街を歩いていると大変なことになった
サインや写真を求められるようになった
「双子の弟です」と言うと「ちぇ」「なーんだ」「ウソつくな」「健司の偽物か」等と言われた
辛かったのは「どうせ顔一緒なんだから写真撮ってよ」と言われたこと

あまりに声をかけられすぎて、双子の弟だと説明すると長引くので、健司のサインを覚えて書き始めたww
いちいち説明するよりもサインを書いたほうが早かった
荻原健司の本物のサインの見分け方

自分の手で自分の存在を消しているようで本当はすごく嫌だった
でも健司の人気のために双子の弟としてやらなければいけないと思った

そういった経験から金メダルを取った兄健司に対して、余計なことをしやがって・・・と思うようになった
兄弟で会話もしなくなった

次晴が久々に実家に帰ったときにささいな事で父と口論になった
その時止めに入った母に「なんで俺を双子に産んだんだよ!」と言ってしまった
母は謝って泣いていた

人と比べられて陥るしくじり地獄

①本気を出すことから逃げる
 ↓
②頑張っている人を批判する
 ↓
③周りを攻撃し始める
 ↓
孤独状態

一番辛かったことは兄健司と比較すらされない事だった
そして、自分も有名になって次晴の存在を知ってもらおうと思い立った

子どもの頃は健司よりも次晴のほうがなんでもできたので、
健司ができたことは俺にもできるはずだ!と思いスキーで有名になろうと思った

大学卒業後、健司も所属している北野建設に就職

健司はオリンピックの後も勝ちまくっていた

無双状態の荻原健司の戦績

ワールドカップ
92年12月 ヴオカッティ優勝
  12月 クールシュヴェル優勝
  12月 サン・モリッツ優勝
93年1月 ザールフェルデン優勝
  3月 ラハティ優勝
  3月 リレハンメル優勝
  3月 ストラプスケプレソ優勝
  12月 ザールフェルデン優勝
  12月 サン・モリッツ優勝
  12月 サン・モリッツ優勝

健司とは同じチームメイトとして久々に再開した
しかし特に何も話さなかった

この時の次晴の目標は1994年のリレハンメル五輪に出場すること

オリンピックのメンバー選考はワールドカップなど海外での実績が考慮される
国内だけで戦っていた次晴は不利な状況

そんな中代表になれる最後のチャンスがやってくる
海外遠征メンバーも出場する全日本選手権

本気を出した次晴は3位、1位は健司

オリンピック出場枠は5人だが次晴は選ばれなかった
次晴はこの時人生で初めて悔しいと思った
悔しくて涙を流したのもこの時が初めてだった

教訓
心から悔しいと思えたら本気を出せた証
その悔しさは必ず次に繋がる

1994年、リレハンメル五輪で健司が再び金メダルを獲得!
荻原健司間違われ地獄が再びやってきた

折れかかった次晴の心を繋ぎとめたのは4年後に自国開催の長野五輪
日本で行われる五輪に出場することは自分を知ってもらえる一番のチャンス

世界大会にも積極的に参加するようになり世界相手でも互角で戦えるようになった
1995年2月時点の世界ランクではこうなった
1位 荻原健司
2位 荻原次晴

周りの人達が健司と次晴を比較するようになった
以前は比較すらされなかったので比較してもらえる喜びを感じるようになった

弟の次晴も凄いじゃないか!とスキー界でチヤホヤされるようになった
その結果、自分の中での目標を達成してしてしまい本気を出すのを止めてしまった

世界ランクはどんどん下がりワールドカップに出場できなくなった

教訓
満足は「本気」の最大の敵


もうこんなスキー競技人生やめてやろうかと思ったがその苦しい状況の中でも世界ランクを上げたい、ワールドカップに上がりたいという仲間達がいた

その姿を見て、
俺はなんてだらしないんだ、やっぱり本気を出そう

長野五輪の代表になるには、世界ランキング50位以内に入ることは必須
当時の次晴の世界ランキングは51位

そんな中最後のコンチネンタルカップに出場
見事優勝して長野五輪出場決定!

1度本気を出した人は2度目の本気をすぐ出せる

1998年2月13日長野五輪本番当日
とんでもない数の大観衆を見て、自国開催のとてつもないプレッシャーと恐怖で震えが止まらなかった

ジャンプ台に向かっていると偶然健司とすれ違った
その時、健司から人生ではじめて「がんばれよ!」と言われた

それまでお互いに励ましあったことは一度もなかった
おそらく次晴がめちゃくちゃ緊張してるのがわかったのだと思う

そのおかげで緊張が和らいでスタート地点に立つことができた

死んでもいい!と本気の覚悟で挑んだ結果、
K点越えの大ジャンプ成功!91.5m 3位に

大ジャンプを成功させた瞬間に気づいたこと
これが俺の本物の本気か
今までの俺は本気じゃなかった

兄健司は9位だったのでジャンプの後、人生で初めて健司よりも次晴に注目が集まった

翌日メダルをかけてクロスカントリーをスタート

「健司がんばれー」と声援が飛んできたw

9位スタートだった健司はどんどん次晴との差を縮めてきた
この時次晴は次晴は、健司と同じテレビ画面に入って「双子です」アピールをしようと作戦を立てていた

メダルや順位のことはどうでもよくなっていたw

スタートから2週目の8キロ付近で健司が次晴に追いついてきた
健司とともに同じテレビの枠の中で競い合うことができたが大きな問題が発生した

健司が速すぎたww

そしてさらに大きな問題に気付いた

健司と同じウエア・帽子だとテレビを見ている人は区別がつかない!

このままでは意味がない!と帽子を脱ぎ捨て「髪の毛見えてるほうが次晴ですよ」アピールをはじめたw

ただ健司がとにっかう速いので限界が近づいてくる

諦めかけたとき、同じ双子だし健司も同じだけ苦しいはずだと思い俺だって頑張れるはずだと必死に健司についていった
その結果、健司4位、次晴6位で双子揃って入賞

健司はメダルが取れなくてがっかりしてゴールした
次晴はやりたいことが全てできて入賞までできたのでガッツポーズでゴールした

ゴール直後、人生で初めて双子で熱い握手を交わした
はじめて健司からスキー選手として認められたような気がした

やりたいことを全て達成できたのでその瞬間引退を決めていた

遠回りはしたがスキー人生の最後はきちんとゴールできた
本当に本気を出してよかったと感じている

競争社会で頑張るみなさんへ

生まれたときと健司と何をするにも一緒だった

兄弟じゃなくとも比べられている人達は世の中にたくさんいると思う
その皆さんに伝えたいこと

「比べられる=期待されている」
比べられることに喜びを感じて本気を出してみよう!

本気を出しても結果が伴わないこともあると思う
どんなところでも勝負の世界は厳しい

しかし本気を出して頑張った人には必ず起こることがある

まだ知らない自分と出会えて次の本気で人生は晴れる

チヤホヤされたくて有名になろうとしたわけじゃない
ただ、健司もいれば次晴という人間も存在している

嘘をついてるわけでもなんでもない
それを知ってもらうためには健司と同じように有名になるしか方法がなかった

かつて大事な母に「なんで俺を双子に産んだんだ!」と愚かな発言をしてしまった
本当にバカだった

長野五輪の後に自分のスキー人生を振り返った
なぜ五輪に出たのかということから考えてみた

健司と間違われることもたしかにあったが、でもそれがきっかけで五輪に出場することができた

そもそも健司が本気で頑張ってくれたから自分も五輪にたどり着くことができた
その健司のことを当時はよく思っていなかった

五輪の後、「今までの俺を許してくれ」と健司に謝った
そしてすぐ母親の元へ飛んでいき謝った

今自分は子育てをしている最中だが、もし自分の子どもにそんなことを言われたら自分はどうすればいいのだろう
本当に自分は愚かだった

五輪を目指している人が皆出場できるわけではない
本気で頑張っているごく一部の人だけが出場できる

出場できなかった人が五輪を目指して頑張っている時間が無駄だったのかというと絶対にそんなことはない
一度でも本気で頑張った経験があれば、必ずいつか何かで生きてくる

今色々苦しんでいる人もいるかもしれないが何かで一度本気になってもらいたいと思う

まとめ

荻原次晴のしくじり
①「まだ本気出してない」と現実から逃げた
②努力している人を否定した
③自分ができないことを周りのせいにした

教訓
比べられることを喜んで本気を出そう

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