「指示待ち人間」になって人生の決断力を失わない為の授業
しくじり先生:ソニン
ソニンのプロフィール
2000年 つんくプロディース『EE JUMP』ボーカルとしてデビュー
2001年 「おっととっと夏だぜ!」がヒット
ソロとしてバラエティ番組にも出演!
現在はミュージカルなど舞台を中心に活躍
ソニンのしくじり数字
3回
⇒仕事でキャパオーバーになった倒れた回数
その原因はしくじった性格が原因だった
ソニンのしくじり性格
人の指示がないと動けない「指示待ち人間」
指示待ち人間ソニンのしくじり行動
指示に応えようととことん努力
↓
自分で判断できず何でもかんでもやる
↓
キャパオーバーで倒れる
これはソニンに限った話ではなく、世間でも誰かに指示されないと動けない人も沢山いる
指示がないと動けない人の一般例
- 上司の指示がないと何も仕事をしない新入社員
- 母親に進路を決めてもらって何も考えない学生
- 相方の指示で動いてきたので一人の現場だと何もできない芸人
第一章
悲劇女ソニン 悲しEE JUMP
~指示待ち人間に訪れる地獄
ソニンが芸能界入りしたのは2000年1月、16歳の頃
テレビ東京「ASAYAN」のオーディソンを受ける
オーディションの結果、落選
運良く1次の書類審査は通った
2次審査が会場で面接と歌唱審査
周りの子達はみんな細くて可愛い
早々と落選したソニンは劣等感を覚える
しかし、オーディション後にスタッフの目に留まり3人組ユニットでデビュー決定!
それが「EE JUMP」
2人組の印象が強いと思うが、実は元々3人組だった
後藤真希を姉に持つ後藤祐樹が注目の的
ソニンの名前なんて覚えてもらえない
ソニンは完全に添え物扱い
EE JUMP結成当時、歌もダンスも見た目も全てが中途半端で地味で取り柄のない落ちこぼれだと思い知らされた
おまけ扱いのソニンはユニット活動について、とにかく出された指示は全てやりきろう!と思った
劣等感に負けてられない
できることはただ一つ
言われたことを一生懸命やるだけ
頑張りを見せようというアピールだった
しかしこれがソニンの指示待ち人間人生のスタートだった
EE JUMPデビューまでの猛特訓
- 一切休みなしで毎日猛レッスン
- 事務所でひたすら自己啓発本を読書
- 社会勉強として事務所の電話番
- 寺に泊まり込み合宿生活 坐禅修行
- 過酷な富士登山
本は読むように指示されていた
電話番だけでなく、精算書を書いたりもしていた
ユニット結成から半年後、メンバーの1人が脱退
脱退理由は「サッカーをやりたい」w
残った2人での歌手デビューが決定
デビューシングルからニューヨークで約1億円をかけてPV撮影
3枚目のシングル「おっととっと夏だぜ!」はオリコンランキング最高5位
評判も上々でファーストアルバムの発売も決定し、まさにこれからという時に後藤祐樹の不祥事を起こす
不祥事の詳細
2002年4月12日、当時15歳だった後藤祐樹がキャバクラに入店している写真が週刊誌で大きく取り上げられた
その結果、わずか2年でEE JUMPは解散
この不祥事を起こす前に後藤祐樹は事務所と衝突して行方をくらました事件があった
それで後藤祐樹だけ半年間くらい休業していた
その頃ソニンは1人で活動していたが、必死だったので後藤祐樹のフォローもできなかったことは今でも後悔している
事件後は全く連絡を取っていない
受けた指示だけ頑張っていればいいと考えていた結果、大事な活動の場を失う結果となってしまった
その後ソニンは「解散します」とだけ告げられ、どうしていいかわからない
事務所からは「どうするの?」「どうしたいの?」と聞かれたときに、逆に何をしたらいいのかわからなかった
「この先どうなるんだろう」「もうここで終わりなのかな」というショックでパニックになり涙と鼻血が止まらなくなった
ちみに両鼻w
その場にあったティッシュ1箱全部使った
でもここで終わるわけにはいかない
「何でもやるから残らせてください 指示をください」と言ってしまった
ここでソニンは指示待ち人間として完成
事務所からソニンが指示された仕事
実家の高知から韓国までの570kmを走りなさい
名前が知られていなかったので、実家のある高知からルーツである祖父のいる韓国の実家までマラソンすることによって、大きな話題を呼んで知ってもらおうという企画だった
当時人気だった歌番組「うたばん」でのお仕事
これを走らないとCDを出せないという条件付き
だからソニンは走るしかなかった
その結果、ソニンはマラソン中に倒れた
これが1度目のキャパオーバー
この企画はかなりの話題となりCDをリリースすることができた
でもその後、体を張る仕事がどんどん来るようになった
業界でのソニンへの認識は、NGなしでなんでもやる崖っぷち歌手
ソニンが体を張った仕事
- 土佐犬と対決
- スタントマンに挑戦
- 1人で6万個のドミノを並べる
あまりのショックでまた倒れる
これが2度目のキュアパオーバー
6日間に渡って5万4600個のドミノを並べきり、個人のドミノ倒しの日本記録(当時)を達成した
周りのスタッフは企画が話題になればと愛情を持ってやってくれているのはわかっていたが、意見を一切しないと指示は過剰にエスカレートしていく
世間にも会社に自分の意見を言えず、全てを飲み込んでしまう人も多い
特に女性に関しては以下のようなデータがある
20~39歳の女性会社員309名に調査
上司に対して言いたくても言えないことはありますか?
ある・・・78%
ない・・・22%
耐えることは大事で必要なことではあるが、耐える事自体が目的になってはいけない
大事なのは耐えてその先に何をしたいか
第二章
おっととっとカツカツだぜ
~指示待ち人間の末路~
音楽活動でもどんどん過激な行動をとっていった
ソロシングルを発売するにあたってこんな指示を受けた
裸エプロンでCDジャケットを撮りなさい
「カレーライスの女」
2002年8月21日に発売されたソニン初のソロシングル
売上枚数 約7万枚
オリコンランキング最高8位
この時ソニンは19歳
裸エプロンに対する世間の声
- 売れるためなら何でもやるのか!
- ソニン必死だな
- あんな格好してまで業界に残りたいのかよ
- いい加減にしろ
- なんか哀れだなぁ・・・
でも悪いことだけではなく、グラビア等の仕事もくるようになった
そうなると見た目も今まで以上に磨かないといけないと考え、超過激なダイエットをはじめた
食事の量を極限まで減らし、かなりの短期間で不健康に激ヤセした
見かねた事務所が「食べなさい」と指示
↓
食べると体重が戻る
↓
事務所「体重戻しなさい」
↓
ガリガリ
この繰り返し
1ヶ月単位で10kg体重が増えたり減ったりしていた
当時は「リバウンドの女王」と呼ばれていた
ダイエットを繰り返した結果、ソニンは筋肉女になったw
きっかけは、健康的な体になるためにジムに行ってトレーニングしなさいという事務所からの指示だった
ネットでいじられるようになり、さらにムキムキに加工された写真が出回ったw
追い込まれたソニンは、雑誌のインタビュー中に過呼吸で倒れ病院に救急搬送された
3回目のキャパオーバー
食事制限をして糖質制限もしているので頭に糖分がまわらなくて意識がもうろうとしてしまうし、プレッシャーで精神的におかしくなっていた
常に考えていることは体のことだった
ソロでのCDも売れなくなり、歌手活動は激減
ついには新曲を出すこともできなくなった
そしてソニンは世間からは消えた人と見られるようになった
「私結局何がしたいんだろう?」
「何のために頑張っているんだろう?」
と考えるようになった
なんでこんなに頑張ってきたのかわからなくなり虚しくなった
指示を出されずに野に放たれると何をしていいのかわからなくなるのが指示待ち人間の末路
絶望の中、大竹しのぶとの出会いが大きな転機となった
たまたま観に行った舞台での大竹しのぶの演技があまりにも素晴らし過ぎて感銘を受けた
そんなタイミングでミュージカルのオーディションの話がきた
それがなんと大竹しのぶ出演のミュージカルだった
「大竹しのぶさんと共演したい」という一心でオーディションを受けた結果、役を勝ち取った
それが宮本亜門演出の「スウィニー・トッド」
尊敬していた大竹しのぶの演技を間近で毎日見て勉強できる上に、すごくアドバイスもしてもらい優しくしてもらった
はじめてこの舞台で役に入り込むという経験をした
今までにない衝撃と感動を覚えて一気に舞台の魅力に引き込まれた
誰の指示でもない初めて「自分が本当にやりたい事」を見つけた
舞台をやり続けたいという思いが強く芽生えた
「歌って踊ってすごくソニンに合ってるね」とも言ってもらえて、もしかしたらここば居場所なのかもしれないと気づきはじめた
その後、出演したある作品の最後のシーンで死ぬシーンがあり、
その時「私このまま死んでもいい、ここで」と思えた
ここまで自分の全てを捧げられることに気づき、自分の意思と環境が一致した瞬間だった
教訓
大きな虚無感を感じた時は外に出て人との接点を作ろう
1人で考えていると、どんどんネガティブになって虚無感は大きくなっていく
外に出て人と話せば、きっと何か気持ちに変化をもたらしてくれるのではないか
その後、ソニンは「舞台の女優として活動していきたい」とはじめて事務所に意見を言った
もう一度、1からのスタート
さらなるステップアップを目指し、芸能活動を休止し1年半ニューヨークへ留学した
その間仕事が全くできないので事務所はもちろん反対
しかしソニンは生まれてはじめて事務所の指示に反対
この留学がソニンの生き方を変える大きなターニングポイントになった
ソニンがニューヨークで接した人達は周りの意見には左右されず常に自分らしく自然体だった
それまでソニンは人の指示を拒絶して逃げるのは恥ずかしい事と思って生きてきた
逃げて恥ずかしい自分も見てみよう
カッコ悪く生きてみよう
自分は自分と思うからこそ他人も評価できるようになったし、今まで悩んでいたことを割り切れるようになり心の整理がついた
日本に帰国後は舞台の仕事を沢山もらえるようになった
ソニン最近の出演作品
2014年「モーツァルト!」
2015年「嵐が丘」
2016年、演劇界で優れた人に贈られる章
「菊田一夫演劇賞」を受賞!
菊田一夫演劇賞
映画演劇文化協会が毎年発表している演劇の発展のため大衆演劇の舞台で優れた業績を示した芸術家を表彰する章
若い頃に無駄な時期を過ごしたと言われたこともあったが、それが演技をする上で糧になっていて今の為に昔の経験があったと気づき、驚きと感謝でいっぱい
教訓
指示ではなく 決断した道 指示を得る
「頑張ることは報われる」という言葉がある
ソニンはずっと綺麗事だと思ってきた
報われないじゃん、と思いながら
でも、自分の選んだ道での頑張りは必ず報われるし、自分で決断した道は言い訳もしないし全てがポジティブに転んでいく
もちろん大変なことはあるが、自分の選んだ道になにか悩んでもがいている人は一歩踏み出す勇気を持って自分の意思で進んでみてはいかがでしょうか
評価してくれる人は必ず、必ずいる
今わからなくても必ず現れる
まとめ
ソニンのしくじり
①自分の意見を言わなかった
②自分で自分を苦しめた
③夢や目標を見失った
教訓
人生に無駄はない
辛い時期こそ乗り越えていこう