高橋ジョージのしくじり授業まとめ「恐怖の『ローゴ(老後)』第一章が始まった男」

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高橋ジョージ
長年連れ添った妻と離婚して孤独な老後を迎えないための授業
しくじり先生:高橋ジョージ

実話を元に作られた曲「ロード」
売上枚数 約220万枚

個人の最高年収・・・約16億円

その後、ドラマや映画にも出演

1995年「転職ロックンロール」
1999年「ラッキーロードストーン」

近年は夫婦で数々のバラエティ番組に出ていたが、
2016年3月、17年連れ添った妻(三船美佳)と離婚が成立
⇒別々のロード(道)を歩むことになった

世間が一番聞きたい事
モラハラ騒動

モラルハラスメントとは・・・
暴力は振るわず言葉や態度で嫌がらせをしいじめること

報道されている高橋ジョージのモラハラ

  • 高橋ジョージ在宅時の外出禁止
  • 1日のスケジュールをすべて報告させていた
  • 給料は全てジョージの管理でわずかな小遣いしか渡していなかった
  • 服装に細かく口を出し胸元の露出、生足は厳禁だった
  • 連日朝まで人格を否定するような事を言った

これらは事実なのか?

高橋ジョージが言えることは、
1年以上に渡って裁判をして、三船美佳が控訴を取り下げて、あくまで和解で協議離婚した
という事実のみ

三船美佳が高橋ジョージのことを嫌になって出ていったことは事実

高橋ジョージのしくじり数字
10年

この数字の意味は??
⇒熟年離婚をした男性が縮めてしまう寿命

男性の平均寿命
結婚している人 79歳
離婚した人   69歳

女性の平均寿命
結婚している人 85歳
離婚した人   80歳

男性は10歳、女性は5歳の差がある

高橋ジョージは現在58歳(2016年しくじり先生放送時)

男性は配偶者がいないと様々な問題が生じる
⇒食生活が乱れ、体調が崩れやすくなり病気にかかったりする

そうなったのも全て三船美佳に離婚された高橋ジョージに責任がある
完全にしくじりだった

58歳で離婚して孤独な一人暮らしが始まった

熟年離婚する方は近年急増していて社会問題になっている

近年の離婚に関してのデータ
結婚した夫婦の約3組に1組が離婚している
厚生労働省「人口動向調査」(2015年)より試算

50歳以上の男性の離婚件数は、45年前の約10倍になっている

中高年男性に待ち受ける恐怖
東京都23区内の自宅死亡している単身世帯の男性は、
1日に約9人

高橋ジョージも三船美佳が出ていく寸前まではすごく幸せだった

離婚というのは徐々に崩れていくものではない
ある日突然やってくる

今は仲のいい夫婦の皆さんにも関係のない話ではない

しくじりの根源はどこにあったのか?

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ローゴ〜第一章〜
高橋ジョージができるまで

しくじった性格が形成されるまで

最近はバツイチとしてバラエティに呼んでもらうことも増えたが、実はバツ2

高橋ジョージの年表

1982年:バンド「トラブル」としてデビュー、1度目の結婚
1992年:「ロード」を自主出版
1993年:「THE虎舞竜」に改名、「ロード」が220万枚の大ヒット
1995年:1度目の離婚
1998年:2度目の結婚
2016年:2度目の離婚

2度も離婚することになったのは、
高橋ジョージの強烈にしつこい性格のせい

しつこいから田舎から出てきてデビューできたのでいい点もある
勝つまでやめようとしない

それは、生い立ちが関わっている

1958年に宮城県で生まれ、小学生の頃は学級委員で人気者
児童会の会長を引き受け、成績も優秀なほうだった

中学校1年のときに両親が離婚
母親が姉を連れて家を出ていき、町でもめずらしい父子家庭に

若くして母親の愛を失った高橋ジョージは、執念深く恨み続ける性格になった

中学校2年の時、無実なのに火事の放火犯の疑いをかけられ
ほぼ町の人全員に無視されるようになった

追い詰められた結果、線路の上で自殺しようと思った

電車が近づくとレールの音が響いてくる
その音を聞いて、この線路を辿っていくと東京に行ける
東京には夢がある、高橋ジョージはこの町を出て
いつかこの町のやつらを見返してやる、
俺を疑った奴らを見返すために生きてやると誓った

事件の半年後、放火の真犯人が逮捕

疑いははれたが、一度疑いをかけられると
「あの子は疑われてもしょうがない」と
今まで色んなことを言った人達は自分を正当化した

中学2年という多感な時期のその体験は一生消えない傷になり、
高橋ジョージを執念深い復讐の鬼へと変えた

この精神が強烈にしつこい性格を作ったと言っても過言ではない

上京後、バンドメンバーを集めるときも、他のバンドのメンバーを強引に勧誘していた

上京から5年、23歳の時にレコードデビュー
しかし、まったく売れなかった

当時はタイアップ(CMやドラマで使用曲)でないと売れることは難しかった
しかしバンド名が「トラブル」だったため、企業から選ばれることはなかった

レコード会社から「バンド名を変えろ」と言われたが、反抗して変えなかった

3年後、バンドは解散

しかし音楽で成り上がることを諦めずに高橋ジョージ以外のメンバーを全て新たにバンドを再結成!

新生「トラブル」
ボーカル:高橋ジョージ
ギター:ホンマ敏之(新メンバー)
ベース:田中敬久(新メンバー)
ドラム:田中清人(新メンバー)

自分のプライドに固執するあまり周りの助言を聞き入れなかった
バンド名は「トラブル」のまま

名曲『ロード』誕生秘話

デビューから10年後、1992年2月 33歳
もうプロダクションがなかったので自分たちで事務所を立ち上げてイベントなどをやっていた
しかしうまくいかず、色んな失敗をして負債が5000万円

「もう駄目だろうな」と周りが言い出した

メンバーがいるうちに、最後にもう1回だけレコーディングをやろうということで
みんながなけなしのお金をはたいてスタジオを借りて2曲レコーディングをした

その時点で、スタジオのレンタル時間は2時間残っていたので
雑貨屋さんにチョココロネを買いに行った

そのとき雪が降っていた
チョココロネに降った雪がピアノの鍵盤に見えてふとインスピレーションが湧いた

そのときに浮かんだ曲が、ロード

残った2時間でもう1曲録ると言ったら、
「無理無理、時間ないから」と言われたが、
「大丈夫!1発でやるから」と強行

マイクを立てている時間もなかったので、シンセサイザーのピアノで録ることに
ピアノとハーモニカと歌を録音

最高の出来だとは思ったが、
何の実績もない高橋ジョージ達と契約してCDを作るレコード会社はなかった

しつこいジョージは、自費で作った音源を持って44社配り続けた

出版社や音楽に関係する事務所全てに持ってまわった

以前付き合いのあった会社がなんとかCDを発売してくれた

ディストリビュートといって、流通だけをお願いし、
CD制作・宣伝はレーベル会社を通さず自分たちで行う契約

最初「ロード」は全く売れなかった

バンドメンバー全員で、東京、大阪、名古屋にライブに行ったときに、
有線放送をまわった

その結果、モニターのお姉さん達が心を動かしてくれて、
リクエストのない時間帯にかけてくれた

その結果、有線放送では発売前に1位になった

その翌年、バンド名を「THE虎舞竜」に改名し。
「ロード」を1曲目にしてリニューアル発売
220万枚の大ヒット!!

成功への道を切り開いた

教訓
復讐心は心のバネに!
他人へ向けては駄目!

ローゴ〜第二章〜
高橋ジョージが孤独になるまで

「ロード」発売年一覧

1993年1月:ロード
1994年1月:第2章
1995年1月:第3章
1997年2月:第4章
1997年6月:第5章
2000年1月:第6・7章
2001年5月:第8〜13章

運命の出会いは突然訪れる

1997年、ロードも第5章を過ぎた頃、
高橋ジョージのファンだった三船美佳が母親と一緒にコンサートを見にきてくれた

映画「ロード」
1996年に製作
曲「ロード」をもとに映画化した作品

出演
高橋ジョージ、遠山景織子、沢田亜矢子、高橋ひとみ、地井武男など

映画上映後、ライブをやっていた

ライブ後、楽屋に母親と三船美佳がやってきた

映画の続編で、「LEON」のような
14歳くらいの少女と中年の男の映画を作ろうと思っていた

それで三船美佳の母親が当時14歳だった三船美佳を紹介した

映画の出演のオファーをし、映画を作るためにある映画を観に行こうということになった
すると当日、母親が来れないことになった

高橋ジョージと三船美佳はふたりきりに

その時観た映画がジョニー・デップの「フェイク」

帰り道に高橋ジョージは三船美佳にこう言った
「俺たち、結婚する気がしないか?」

そう言った理由は、
映画を観ているときに、一度も手が当たらずにポップコーンが食べれたからw
餅つきのような阿吽の呼吸ww

三船美佳も「私も同じこと思ってた」と言った

そして高橋ジョージが40歳、三船美佳が16歳のときに結婚

三船美佳は高橋ジョージに臆することなくズバズバ意見を言うタイプ
可愛く見えても腹は立たなかった

その時、高橋ジョージは、
24歳も離れていたら喧嘩にもならないだろうと思っていた

世間からは「いつまでロードを作っているんだ」
「いい加減にしろ馬鹿野郎」と言われていた

ロードの完結を迎えた頃には、高橋ジョージは世間から完全に忘れ去られていた
三船美佳が学生だったのでその送り迎えや、料理などをやっていた

仕事は全くなかったが、カラオケの印税などがあるので、働かなくてもそんなに困らなかった

2004年、三船美佳が21歳のとき、娘を身ごもる
女優の仕事の他にバラエティも出演していたのだが、
ある日夫婦共演でもバラエティ出演のオファーがきた

「いい旅・夢気分」に三船美佳が母親と出演予定だったが、
祖母が骨折し、母親が出演できなくなったため高橋ジョージにオファーがきた

当時の高橋ジョージはバラエティには抵抗があったが、
一緒にいられるならやってみようかなと思った

収録になると、仕事がない期間、テレビばかりみていたので、
「きっとここでこれが欲しいんだろうな」とわかってしまったw

その反響が、高橋ジョージってなんでもやるんだ!というものだった

オンエアした次の日から物凄いオファーがくるようになった

世間から忘れられていたこともあり、
「求められてる?俺」という気持ちになり企画書ひとつひとつに目を通し、
「これはおれならこうするね」と思い浮かべていた

しかし、これこそが離婚ロードの始まりだった

仕事がなかった高橋ジョージにバラエティ出演が増えた事は非常にありがたかった

しかし、四六時中一緒だと夫婦関係がギクシャクする結果に

夫婦仲がギクシャクする例

  • 定年退職した夫がずっと家にいる
  • 夫が脱サラして夫婦でお店を経営
  • 急に田舎に移住して夫婦で農業を始める

亭主元気で留守が良いという言葉もあるように、
大体の場合は、妻が無理して合わせてくれている

しかし妻側からすると「結婚当初と話が違う」

当時の高橋ジョージは三船美佳がどう思っているかなんて気にせず、
夫婦で仕事が増えてCMのオファーもきて、彼女が1人でやっている時より
仕事が増えたと思っていた

そして良かれと思って出演番組の反省会をやっていた

三船美佳は疲れていて眠いときに、
「あのリアクションは違う、早い!」などとダメ出しをしてしまっていた

バラエティ的には三船美佳が大先輩なのに、後から入ってきた
高橋ジョージがきて説教していた

この経験から高橋ジョージが学んだ教訓
自分の専門外のことで偉そうに語ってはいけない

ミュージシャンという肩書でバラエティに呼んでもらっているのに、
途中から勘違いしだした結果、三船美佳の笑顔はだんだん減っていった

高橋ジョージの言うことに対して、三船美佳は毎回1回も文句を言わずに、
「うんうん」と話を聞いてくれた

とうとう三船美佳も我慢の限界を迎える日が訪れる

結婚から14年経った2012年
高橋ジョージが54歳、三船美佳が29歳のとき
夫婦で行ったロケで、場を盛り上げるためにひどい冗談を言った

すると隣で笑ってくれているはずの三船美佳が不機嫌そうにしていた

その日の夜、三船美佳に
「今日、私はあなたと本気で離婚しようと思った」
と言われたが、冗談だと思って相手にしなかった

今思えば、これが最初のサインだった

高橋ジョージのしくじり①
三船美佳からのサインを冗談と思い流してしまった

高橋ジョージのしくじり①
原因をきちんと考え反省しなかった

今まで離婚を考えたことがありますか?

  • 考えたことはない 54.8%
  • 考えたことはあるが相手に伝えてはいない 24%
  • 考えたことがあり相手にも伝えた 21.2%

既婚女性の約45%が離婚を考えたことがある

会話の中に「離婚」というワードが出てきたら、冗談ではないと思うべき

女性の離婚に対する意識は高まっている

三船美佳の離婚発言から1年4ヶ月経った
2013年12月25日クリスマスの日
三船美佳が子どもとペットを連れて家出した

多くの男性は離婚の原因に気づかないことが多い

教訓
奥さんが送るサインを見落とさないように心がけよう

三船美佳のSNSをチェックして気付いた

高橋ジョージは、三船美佳の精神的成長をなめていた
自分のほうがずっと精神的に大人だと勘違いし続けていた

男性はどんな事をやっていても精神面では女性には絶対に敵わないことを認めて謙虚に生きるべき

2014年離婚調停。そのまま裁判へ突入
2016年3月29日、協議離婚成立

世間の男に伝えたいこと
男はもっと奥さんのことを知る努力をしよう

離婚のサインが出たときはすでに遅い
結婚した時点から努力をするべき

女性は努力をしている姿勢は見捨てない

女性と接するときは「理解」と「共感」が大切

ローゴ〜第三章〜
高橋ジョージを待ち受ける老後の恐怖

老後の恐怖①
食事が毎食デリバリーかテイクアウトになる
栄養バランスが偏る

老後の恐怖②
異性との出会いがない

老後の恐怖③
50歳を超えると遊んでくれる同世代の友人が出来ない

老後の恐怖④
昔からの知り合いも亡くなっていく

老後の恐怖⑤
たとえ集まっても盛り上がりに欠ける

熟年離婚で起こる悪循環

デリバリーの食事が増える
 ↓
人と会う機会が減る
 ↓
運動しなくなる
 ↓
体調が崩れる
 ↓
孤独死のリスクが上がる

最終章
三船美佳と離婚して気付いたこと

子どもに会えない寂しさは想像を絶する

まだ別居や離婚が表沙汰になっていない頃、
NHKから、妻と子どもに逃げられた一発屋のベテラン歌手役のドラマのオファーがきた

台本をみてから出演するかどうかを決めようと思っていたところ、
台本があまりにも当時の自分の状況にリンクしていたのでありがたく出演した

そのとき出演していなかったらその後きっとテレビに出演する気持ちに慣れなかった

なんでもないおうな事が幸せだったと思う

今思えば、家族との日常でのささいなこと、
普通の何でもないようなことの「ような」の3文字こそが幸せの肝

自分で20年以上も前に書いた歌詞の本当の意味に自分自身が気付いていなかった

今の高橋ジョージには、三船美佳への「反省」と「感謝」しかない

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